映画「平場の月」を、緩和ケア医の視点で解説します!
こんにちは、緩和ケア医のみちるです!
映画「平場の月」が公開されて、1か月が経ちました。実はこの映画は、厚生労働省がタイアップしています。「厚労省のタイアップ・・・どんな映画なんだろうか?」と思い、観てみました。
この記事では映画そのもののレビューというよりも、緩和ケア医の視点で注目したシーンを4か所ピックアップし解説したいと思います。
緩和ケア医の視点で注目した場面4選
① 須藤の手術が決まり、手術や人工肛門の説明を一人で受けている場面
須藤には妹がいますが、これらの場面では妹は描写されていません。また、手術当日に手術室に入室する場面でも、妹が病院に来ている様子はありません。手術後は病室で妹と面会しているため、手術前に須藤から妹へ連絡はしていたのだとは思います。
一緒に説明を聞いてくれる家族や知人がいるなら、同席してもらった方が良いでしょう。
がんは一人で向き合い続けるには、決して楽な相手ではありません。身近に相談したり愚痴を言える相手がいない方が多くいらっしゃるのは十分承知していますが、可能であれば家族・友人・医療者など自分の味方を見つけて、チーム戦で向き合っていくのが良いでしょう。
ただ、須藤は他人に依存せず生きていくとを決意して生きてきた人なので、須藤らしい病気との向き合い方だとは思います。
② 手術後の年明けに、スーパーで青砥と須藤が海野と出くわす場面
スーパーに入店してから須藤の表情は冴えず、人工肛門から臭いが漏れていないか非常に気にしています。そんな中、ばったり海野と出くわしてしまいます。
須藤の病気のことを心配しつつも自分のペースで話し続け、最後にわざわざ引き返し「あけましておめでとう」と言って去っていきます。
人工肛門はどうしても臭いが漏れやすい。季節が冬のためたくさん着込んでいることも影響してか、このシーンでは海野が臭いに気づいた様子はありません。
須藤は手術直後で体調もまだ本調子ではないでしょうし、人工肛門の袋(パウチ)の交換する時も暗い表情です。
須藤にとっては今までとは違った新年であり、「あけましておめでとう」と言われても心から喜べない状況です。
海野はデリカシーが乏しい印象を受ける一方、何か憎めない感じもあります。須藤が離職する時に悲しんでいますし、復職した時には一番喜んでくれていますよね。
自分の感情に素直になれないタイプの須藤と、良くも悪くも裏表がなさそうなキャラの海野と、対比がはっきりしていますよね。
③ 術後6ヶ月後の診察日の夜、須藤の自宅で青砥と食事する場面
青砥は須藤に診察の結果がどうだったのか尋ねると、須藤は顔をこちらに向けずにVサインだけを示し、青砥は「問題なかった」と解釈します。
しかし、実際には再発の診断をされた直後でした。須藤にとっては追い打ちをかけるように、青砥は一線を超えてしまいます。須藤にとって「ちょうどいい感じ」の存在ではなくなってしまいます。
がんの経過の中で、一般的に精神的なストレスが強くなるタイミングは3箇所あります。それは、
- 診断時
- 再発時
- 抗がん治療を止める時
です。
再発診断というのは、非常にストレスフルな出来事です。青砥の行動も重なり、須藤の心はぐちゃぐちゃだったのではないでしょうか。
また、このシーンでは他にも須藤の表情をあえて映さない演出がされています。青砥に背中を向けて、話を聞いている場面です。ストーリー、須藤の人生のターニングポイントになる場面であえて観ている人の想像に委ねる、いい演出だなと思いました。
そして、青砥と須藤が別れた以後、須藤の直接的な描写はなくなります。
④ 須藤の他界後に、須藤の自宅で妹と青砥が話す場面
妹が「最期の2〜3週間でガタガタっとわるくなって・・・」と言っていましたが、がん終末期の変化としては一般的な進み方です。がんの進み方については、こちらの記事もご覧ください。

妹も須藤の余命が長くないと感じ、青砥を呼ぼうか須藤に尋ねます。そして、須藤は妹へ、「合わせる顔がないんだよ」と吐露します。妹は青砥に伝えるべきかどうか悩みます。結局、存命中に妹が青砥に伝えることはありませんでした。
緩和ケア病棟で働いていると、ご家族がご本人と親族・友人との板挟みになり苦悩されている姿を、よく見かけます。
例えば、
- 本人は体調が良くない姿を友人に見られたくない and/or 面会にも体力を使うので会いたくない
- 病状が悪いことを耳にした友人は本人に会いたい、時には病院に病状の問い合わせをしてくる
- 家族は本人の意向を優先したいが、友人が会わせろとしきりに言ってくるので対応が煩わしいと感じる
というような状況です。
医療者視点で言えば、原則として最も優先したいのはご本人の意向です。しかし、ご本人・ご家族・ご友人などの関係性によるところも大きく、実際にはご本人やご家族と話し合いながら決めていくことが普通です。
幼少期の家庭環境の影響もあり、人に依存せずに生きていくと心に決めた須藤は、最後まで「須藤らしさ」を貫いていたのではないでしょうか。
そして、妹はこれからの人生で「姉の意向を守って青砥を呼ばなくて果たして良かったのか?、やっぱり青砥を呼ぶべきだったのではないか?」など、長い年月自問自答するのではないでしょうか。
また、青砥は須藤の最期の1年間LINEを送り続けていたけれども、既読にならなくてもそれ以外のことはしなかったようです。ラストシーンを観ると、青砥は「須藤の自宅に行っておけば良かったのではないか?」と、後悔を抱えて生きていくのかもしれません。
答えのない問いに答えを見つけられる日が来るのか、それともそんな日は訪れないのか・・・。
ご本人やご家族の後悔が少なくなるようあらかじめ立ち回っていくことは緩和ケアの医師や看護師の役割の一つですが、後悔が残ったとしてもその気持ちを一緒に受け止めることもまた、果たすべき役割の一つです。
全体の感想
厚生労働省タイアップということが気になり観てみた映画でしたが、それについては特に気になることは感じませんでした。
映画全体としては抑揚が抑え気味で、派手さは全くありません。表面的なテーマは中年の恋愛ですが、本質的には生老病死がテーマの映画だと思いました。10代や20代の多くにとっては退屈に感じる作品かもしれません。人生経験を重ねてきた40代以降が観ると、この映画の味わいを噛み締めることができるのではないでしょうか。
病気の人が「ちょうどいい存在」に感じてくれるかどうか。近くもなく遠くもなく、近づきすぎず離れすぎず、という距離感や温度感。言うは易し、行うは難しではありますが、須藤にとっての青砥のような存在になれるように、緩和ケア医としてこれからも精進していきたいですね。

最後までご覧いただき、ありがとうございました!